金沢の地名の伝説「芋掘り藤五郎」

兼六園の横にある金沢神社の傍に「金城霊沢」という泉があります。

この泉には「芋掘り藤五郎譚」という、金沢の地名の由来になった民話が伝わっています。無欲な藤五郎と賢く美しい和子の話は、金沢では知らない人がいないくらい親まれています。

芋掘り藤五郎譚

昔々1000年ぐらい前、加賀の山科(現在の金沢市郊外)という所に、山芋(自然薯)を掘って暮らす藤五郎という、貧しいけれど無欲で礼儀正しい若者がいました。

ある日、藤五郎のもとに、※大和の国から、生玉方信(いくたま・ほうしん)という信心深い長者が娘を連れて訪れ、夢で観音様のお告げがあったので、その和子(わご)という美しい娘を嫁にしてほしいと言います。藤五郎は断りましたが、長者はきかず、娘をおいて帰ってしまいました。

※大和の国・・・大和の初瀬(はせ)。現在の奈良県桜井市の地で、初瀬は長谷ともいう。

和子はたくさんの持参金を持って嫁いで来たのですが、藤五郎は貧しい人たちに分け与えてしまったので、すっかり無くなってしまいました。

生活があまりに貧しいので、和子は最初とまどいましたが、そのうち貧乏にも慣れ、藤五郎と仲むつまじく暮らしていました。

そんなある日、娘夫婦の貧乏を見かねた大和の実家から、砂金の入った袋を送ってきたのです。和子は大喜びで、藤五郎に袋を渡し、さっそく食べ物や着物の買い物を頼みました。買い物に行く途中、藤五郎は通りかかった田圃に雁の群れを見つけました。獲ろうと思いましたが、あいにく投げる石が見あたりません。

そこで 持っていた砂金の袋を投げつけました。

雁は獲れず、投げた砂金袋もどこへいったかわからなくなってしまい、しかたなく彼は手ぶらで帰ってきました。

わけを聞いて和子は驚きました。「あれだけのお金を、いくらなんでももったいない・・・」

和子は夫の人の良さに、しまいには情けなくなって怒り出しました。藤五郎には、なんで和子が怒るのかわかりません。平気な顔をして言いました。「あんなもの、芋を掘るといっぱい付いてくるんだがなあ」

和子は半信半疑で藤五郎といっしょに山へ行き、ふたりで芋を掘りました。そして、掘った芋を近くの泉で洗ってみました。

すると、きれいな水の中に金色のつぶがキラキラといっぱい光っていたのです。和子は藤五郎にそれが砂金であることを教えました。藤五郎と和子は、たちまち大金持ちになりました。

でも二人は決してひとり占めにはせず、貧しい人たちに分け与えたため、暮らしは少しも変わりませんでした。それでも二人は十分に幸せで、人々からは”芋掘り長者”と呼ばれて敬われました。

鍬掛けの松

「伏見川の辺に松の大樹あり、これを鍬懸の松という昔 藤五郎在世の時、イモを掘し鍬をかけし松のよし」

明治25年松の根元に黄金があるという噂が広がり、人々が掘り起した為、明治37年頃に枯れた。

この松で13個の「うす」を作り1個を昭和62年4月から石川県立歴史博物館に保管されています。

藤五郎が身近に感じられますネ。

芋掘藤五郎譚薯蕷(しょよ)。藤五郎神社由来より

金城霊澤

ふたりが芋を洗い、金を採った沢は「金洗いの沢」とよばれ、それが金沢の地名になったといわれます。その場所が現在の「金城霊沢(きんじょうれいたく)」で兼六園横の金沢神社のそばにあり、今でも水が湧き出しています。

「金城霊沢」は、文政年間(1818~)に第12代藩主前田斉広(なりなが)の隠居所「竹沢御殿」がこの近くに建てられたときに整備されたといわれています。